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Boston Scientific

日本の医療を進歩させる存在になる。

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Before:外資系大手医療機器メーカー After:ペリフェラル インターベンション事業部 東日本営業部 関東営業1課 シニア・セールス・レプリゼンタティブ

Turning-Point 01

憧れのボストン・サイエンティフィックとの出会い。そして別れ。

やりがいと成果に応じた評価・待遇、スマートでクールに活躍するビジネスマンを目指して、大学卒業後すぐにアパレルショップの店員から日系医療機器商社(ディーラー)へと転身した。しかし、待っていたのは日夜、医師のニーズに合わせて医療機器を運び続ける毎日。「そう甘くはないか」と納得しかけていた時だった。医療機器のプロフェッショナルとして、名のある医師たちとパートナーとして議論する当社の社員を目の当たりにした。医療機器の生みの親であるメーカーと、医療機器の運び手であるディーラーの役割の違いを、その頃の自分は理解していなかったのだ。医療の最前線を突っ走るボストン・サイエンティフィックこそ、医療業界に飛び込む時に思い描いていた姿だった。「いつかはボストン・サイエンティフィックで」。そう強く願い、ついにその2年後、憧れのボストン・サイエンティフィックの一員となった。

そこは思い描いていたとおりの場所だった。担当は、脳以外の末梢血管(四肢末梢動脈・頸動脈・腎動脈など)疾患治療に用いる製品群。主に扱うのは血管用カテーテルだ。ディーラー時代はサイズバリエーションを理解し安定供給することが求められたが、ボストン・サイエンティフィックではそうもいかない。各製品がどの症例に適しているのか、その上での使用法などを完全に理解していなければ医師と会話すらできない。求められたのはプロとしての知識と提案だった。休日には極力学会に参加。スライドだけでは理解できない実地の知識は、先輩たちから学んだ。用語集にかじりつき、昼夜を問わず足りない知識を埋めていった。知れば知るほど広がっていく未知の世界。がむしゃらに働き続けながら、充実した日々を過ごしていた。

そして2年目。事業拡大のために買収した他部門への異動が決まった。製品進化の早いカテーテルの世界にやりがいと面白さを見いだし、この分野でキャリアを積んでいこうと燃えていた矢先だっただけに、想像以上にショックは大きかった。若さもあったかもしれない。カテーテルへの想いは1年経っても消えず、ついにはあれほど憧れていたボストン・サイエンティフィックを去るという決断に至ってしまうほどだった。

Turning-Point 02

思い知ったボストン・サイエンティフィックとの圧倒的な力量差。

移ったのは、同じくカテーテルを扱う外資系医療機器メーカー。仕事も順調だった。けれど、たった1人で長野県のすべての病院を担当していたボストン・サイエンティフィック時代とは異なり、毎日、社内で同僚たちと顔を合わせ、営業戦略を一緒に練る日々には、どこか物足りなさを感じていた。そして、どうしても埋めきれない想いがあった。ボストン・サイエンティフィックではカテーテル1つでも、症例や手技に合わせて多彩な製品を扱っていた。けれど、今は数少ない製品をいかに医師に導入していただくかが求められる。「この手技なら、ボストン・サイエンティフィックのあの製品があれば」。そんなもどかしさを抱えることが日を追うごとに増えていった。

手術の初めから終わりまで自社の製品で完結できるほどの充実した製品ラインナップ。たとえ同じ性能の製品でも、手技を最大限に活かすアイデア溢れる提案力。そして医療の進歩への並々ならぬ情熱。医療の最前線を走り、この分野を牽引し続けているボストン・サイエンティフィックの姿は、同業他社はもちろん医師たちでさえ一目置いていた。「わかっていたはずなのに...」。ディーラー時代に抱いていた憧れは、同じメーカーの立場になった時、さらにさらに強くなっていった。

そんな私の想いを察したわけではないだろうが、ボストン・サイエンティフィック時代の先輩が声をかけてくれた。「会社も状況が変わった。今ならカテーテルを扱えるかもしれない。その気があるなら会社にかけあってもいい」。けれど、その申し出にすんなり「はい」とは言えなかった。当時お世話になった上司や先輩、同僚、後輩、様々な顔が目に浮かんだ。理由はともあれ一度は外に出た身。出戻るならば、並のパフォーマンスでは許されない。たとえ周りが認めてくれても、自分自身が納得出来ないはずだ。もし結果がだせなければ、けじめをつけて自ら辞めよう。誰よりも努力してやる。自らにそう誓い、人生で初めてというほどの強い危機感を携えて、「またお世話になります」、そう頭を下げた。30歳を目前に控えた春だった。

Turning-Point 03

製品を売るだけでは、医療は進歩しない。

2度目のボストン・サイエンティフィックは、想像以上に進化していた。扱う製品群も増え、育成制度も充実し、以前よりも確実に分野ごとのプロフェッショナルが育っていた。未来への戦略もビジョンも明確になり、組織として皆が一丸となって突き進んでいた。

ある時、担当する医師から相談がきた。脳梗塞予防の新たな手技である頸動脈ステント留置術(CAS)をすぐにでも導入したい患者さんがいるという。CASはすでに海外ではスタンダードな技術だったが、当時、日本で実施できる医師は数えるほどしかいなかった。けれど世界中にネットワークを持つ当社には、豊富な症例データも情報もある。高いCAS技術を持つ医師とのパイプもある。その当時、私にできうるすべてのことを、その医師のために行った。通常1ヶ月はかかるプロセスを2週間弱で進めていった。それだけ2人とも本気だったのだろう。時にはお互い声を荒げるようなこともあった。けれど目標が同じだから仲違いするようなことはなかった。そして、導入を検討していた患者さんへの手技も無事成功。術後、医師から「僕らの病院の幅を広げてくれたよ。本当にありがとう」と言われた時は、心からホッとした。医師はその後もCASの症例を増やし、今では日本屈指の症例数を誇り、CASが日本医療に広がるきっかけと言われるまでに成長していった。

我々の仕事は、単に製品を売り込むだけではない。日本の医療業界に、新たな製品、新たな手技を導入するための素地をつくることからはじまるのだ。それは大きな意味では、日本の医療を進歩させるきっかけづくりでもあると言える。今では当たり前となっている機器も手技も、誰かがきっかけをつくったからこそ、今があるのだ。もう迷うことはない。すべてのひとに感謝し、マーケットリーダーとして、日本の医療を進歩させる。そのきっかけをつくり続けることが私の存在意義であり、それができなければ、私がボストン・サイエンティフィックにいる資格はないのだ。

  • 岩村泰秀
  • 鈴木雄一
  • 酒井勉
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